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「お金はないがメダル獲れ」はブラック企業 為末氏の「精神論」

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いつまでこの国は根性論が物差しなのか。

いつまでその精神が

「欲しがりません 勝つまでは」なのか。

選手は国の期待を背負っている。

だが、彼らは国の「物」ではない。

選手でしかない。

それ以上でもそれ以下でもないのだ。為末氏は語る。

「(1)足りないリソース(資源)を気持ちで補わせる」
「(2)全体的問題を個人の努力責任に押し付ける」と。

オリンピック選手が頑張りもなく舞台に立っているかのようにメダルが取れなかった選手を糾弾するマスコミ。

そして、間違った競技に対する認識も時に広がる報道。

足りなさすぎる国のサポート。

常に戦いの影でこの事態が問題である。


熱き戦いが繰り広げられる。

現ソチオリンピック。

23日まで各々のプライドをそれぞれの舞台でぶつけあう。

そして、その中で1から3位までの順位が決まり勲章として、がんばりの証として「メダル」が与えられる。

当たり前だが、その中でメダルを獲得出来る人、至らなかった人たちが出てくるのは致し方無い。

特に、オリンピック開催前に成績をあげていた人は尚更期待される。

だが、取れない時は取れない。

モーグルの上村選手が到達したかった目標を果たせなかったが、悔しくも爽やかなコメントにとても感銘や励ましをもらった人も多かったと思う。

反対にスキージャンプ女子の高梨選手がまさかの結果になり多くの人が驚き、本人の悔し涙にその気持を受け取った人も多かっただろうと思う。


しかし、メダルを獲得できなかった人に対するマスコミなどの糾弾も後を絶たない。

やるのは「人間」であり、完璧な「改造人間」などではない。

そこに至るに多くの出来事の中での1つの結果でしかない。

アスリートの大きな目標であり、到達すべき目標地である「金メダル」はその中に含まれるはず。

もちろん各々の選手の受け取り方は異なる。


皆私達の想像の及ばないぐらい練習に打ち込み思い描く勝利のために歯を食いしばっている。

しかし、競技のそれぞれに選手達にとって充分な環境が与えられているのかというと疑問符がつく。

まず国の当てている予算から見てみたい。

これらも為末氏のコラムからわかったのだが、

以前開催された北京オリンピックでの強化予算費から見てみると

科学者の松本公平氏の試算によると、北京オリンピックにおける日本の強化予算は25億円程度で、ドイツ(約270億円)イタリア(約250億円)アメリカ合衆国(約170億円)に遠く及んでない。


ちなみに、韓国は106億円。

中国は120億円であった。

これだけ見ても明らかに劣勢である。

国ごとのスタンスとか書けばそれまでなのだが、取り組む姿勢がないと書かれても仕方ない。

  おまけに

選手はエコノミークラスなのに、役員はビジネスクラスを使っていたことが批判された。上の人ばかりが良い思いをして、若い選手たちの頑張りに費用がかけられていないなら「ブラック企業的」との批判も当てはまるかもしれない。


これは驚いた。

頑張るのは現役選手であり、役人ではない。(競技に挑戦という意味で)

逆でどうする。

頑張るのは若手でありエコノミーのあなた方ではない。

と、言いたい。

(引用元ミーハー速報)

http://miha2ch.blog.fc2.com/blog-entry-912.html

また、憲法学者の竹田恒泰氏はこのようなツイートもしていた。

「国費を使って選手を送り出しています、成果が出せなくていい思い出になりましたなどと絶対に言わない」

これも1理ある。

とはいえ、その他のコメントでは

「国費と入っても他国とは比べ物にならないぐらい低い」

「選手は国益のために競技をしていない」と。

もういつまでも選手それぞれの「競技愛」だけで何とかしようとする考えを根本から変えないといけない。

もう、個人への依存を捨てる時が競技を続けて行く上で来ている。

野ざらしにできない問題である。   
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